10/11(金)関内Venus出演

近所のお気に入りのカフェ、ここは選曲がものすごくいい!全ての曲をShazamで調べてしまう…オスカー・ピーターソン、ピアノカルテットのときの歌が上手すぎてやばい、歌うとナット・キング・コールの音域を上にしたままみたいなそっくりな声とアプローチであることとか、リタ・ライスとか、セルマ・グレーセンとか、知らなかった歌手を知る。出てくるなりいきなり圧倒的なビリー・ホリデイとチェット・ベイカーの個性に持っていかれる。スタン・ゲッツはやっぱり恐ろしく美しいんだなとか、エラ好きのシンガーだなと思ったらエラ本人だったり。バック・クレイトンの粋、ぎゃー!次はパーカーだし…Now’s The Timeってあらためて聴くとこんなにテンポ遅かったんだ!という感じで悶絶、ただのジャズファンになってしまって逆に作業が進まない、中でも次回ライブのセットリストを組んでいく。

というわけでまったりモードの今月、唯一のソロジャズシンガーとしての出演のお知らせです。

【10/11(金)関内Venus】
https://www.venus-hk-j.com
横浜市中区太田町2-27
ザ・バレル飛高ビル4F
045-228-8559

加藤咲希(Vo)
生田さち子(Pf)

1st 19:40, 2nd 21:00, 3rd 22:20
MC+TC Gentlemen¥5000お通し付, Ladies¥4000お通し&1drink 付

ここのところオリジナル曲を混ぜたり、日本語の曲に挑戦したり、テーマを設けてのコンセプトライブが多かった気がしますが、今回は原点回帰で、プレモダンなスタンダードばかりでセットリストを組んでみました。われながら逆に新鮮!スウィングって甘くて苦くてつまりは最高でもう骨抜きになってしまいます。秋の金曜日の夜長にRelaxingな時間をお過ごしいただけますように🍂

ピアノの生田さち子さんとは本当に久しぶりの共演になります✨最後に都内でご一緒させていただいてから4年くらい経ってしまったかも!?と〜っても素敵なピアニストさんです。ご一緒させていただけるのが光栄であります。久しぶりの共演をぜひ目撃にいらして下さいね🧡

2024年9月30日の日記

とあるロックスター、続・悪人論、金原ひとみについて

怒涛の9月が終わろうとしている。歌手としては名古屋に行って、代々木NARUに初出演して、関内では松本隆特集で日本語の曲と向き合い、神楽坂にも出演2回目だった。講師としては本格的に英語講師業を再開、同時に日本語講師業も開始した。おかげさまで、リスナーの方もスチューデントの方もじわじわと増えて来ている。新約聖書には「求めよ、さらば与えられん」と書いてあった。

手術後、私は別世界に降り立つのだと思っていたけれど、本当にそうなった。何もかも、認識が全てなのだ。別世界に降り立つのだと決める、そして本当に降り立つ。私は今何にも悩んでいない。悩むのをやめると決めたからだ。また悩みたくなったら悩むのだと思う。日々いろいろな出来事は起こる。でもそれを悩みであると認識しない。ただ「出来事が起こっている」もしくは「どうするべきか考える対象」だと思う。悩みではない。量子は観測者の認識によって存在の状態が変わるのだと量子論も説明している。量子は波と粒子の性質を併せ持つ。意識は波だ。アントニオ・カルロス・ジョビンは正しい。

どんな経緯で発見したのか覚えていないのだけれど、この方のnoteが面白くて更新される度に読んでいる。
https://note.com/keigosakatsume/

この方はたぶんロックスターで、もの凄い眼光と筆力で言葉を紡ぎ、私の憧れの海際に居を構え、要請があればどこにでも赴き、人々を(たぶん主に女性、でも性の区分けなど設けていないに違いない、ただ色気も凄いので磁場が歪むのだろう)癒し、鼓舞し、叱咤激励し、慰め、生きている。坂爪さんはおっしゃる、現実を見ている場合ではないと。あまりにもそのとおりすぎる、私たちが現実と認識している世界が幻想で、私たちが幻想と認識している世界が現実なのだから。坂爪さんはこうもおっしゃる。お姉様から受けた薫陶として、「バレない悪事は悪事じゃない」「挑発はするものであって乗るものではない」「感情が揺れた時は笑え」。あまりにもそのとおりすぎる。素敵なお姉様をお持ちである。

初めてお会いしたAさんはとても良い人だった、とBさんに伝えたところ、Bさんは、いや、でも出会ったばかりでその人の裏まではわからない、悪い人の可能性だってある、と言った。私は思う、もちろん可能性は何だって無限大だ。でもAさんがもし裏で巨悪の限りを尽くしているめちゃくちゃ悪い人だったとしても、一生私に自分は良い人だと思わせることができたのなら、やはりAさんは「良い人」なのだ。他人から悪い人、と思われるよりは、良い人、と認識しておいて貰った方が、どう考えても生存戦略としてよいだろう。良い人の方が周囲からの支援を受けやすいし、自分でも自分は良い人で他人に対して善行を行うような人間である、と思っている方が、自分は悪人で罪人なのだ、という罪悪感でいっぱいの自意識より遥かに心地よいだろう。

たまに罪悪感の欠如したサイコパス性を持った人間もいるけれど(アメリカだと100人に1人くらい、文化や遺伝の影響を受けるので日本だともっと少ないらしい)、共感性を欠いた彼らは目的の為なら躊躇なく物事を推し進めることができるので、人類全体の進化や進歩の過程の中で考えたら必要な存在である。サイコパス性を持った人間は、知性が一定の基準に達している場合、生存戦略としてきちんと良い人のフリができる。

ということは、人に悪人と認識される人間とは、生存戦略としてせめて良い人のフリをすることもできない、頭の弱い(宮台真司節)、つまりは生命力の弱い人間なのかもしれない。憎むべきどころか慈悲の対象である。本当の悪人は、誰にもバレないように悪事を働く。誰かひとりにでもバレてしまえば、逮捕されるなり、噂が立つなりして、悪事を働く場がどんどん減っていき、最終的には何もできなくなるからだ。

最近あらためて金原ひとみを読んでいる。私は芥川賞を受賞した彼女の処女作『蛇にピアス』を読んだときに思った、So what? 彼女が描いたのは私が、私たちが、あの頃生きていた世界の現実だった。金原ひとみの父親が当時から名の知れていた翻訳家の金原瑞人だと知った近所に住んでいた年上の男性は、もし自分の子供がこんな小説を書いたらどうしてよいかわからない、と言った。でもお兄さん、これが私たちの現実なんです、と思ったけれど言わなかった。

『蛇にピアス』には共感しかなかった、だから同族嫌悪に近いものがあったのかもしれない。私は救いが欲しかった。『蛇にピアス』には救いがなかった。だからSo what? と逃げるしかなかった。次作『アッシュベイビー』にも救いがなかった。そして私は金原ひとみを読まなくなった。その約20年後、書店で彼女の新作を見つけた、『パリの砂漠、東京の蜃気楼』。彼女がパリに住んでいた頃のことを含めたエッセイだった。

私は自分がストックホルムに断続的に住んでいた経験から、ヨーロッパに住んでいた/いる女性のエッセイに弱い。久しぶりに彼女の著作を手に取ってみる。凄い。エッセイと小説の文体が全く同じだ。この人は全部私小説、もしくは私小説風の作風で、本当に毎回血を流しながら書いていたんだ。表紙の彼女は20年前と同じように、いや、20年前よりも、神々しいとさえ言える美を纏っていた。この人は、自分でしかあれない自分として真摯に生きてきたのだ。それでこんなに美しく、正しく成長したのだ。

続けて読んだのは『軽薄』。禁断の愛と言ってしまえば陳腐になるけれど、極限状態での究極の愛が描かれている。凄い、凄い凄い、こんな境地に達していたのか。以前一部引用した川上未映子の言葉に通ずるものがあるかもしれない。

次に『オートフィクション』、自伝的私小説風小説の最終形態!谷崎賞受賞の『アンソーシャル ディスタンス』、「コロナ禍で、みんなも自分自身ももがき苦しんでいる。その声を書くしかないのではないかと思った」、なんて真摯な。そしてここ最近矢継ぎ早に出版されているのが、一見して今までの作風とはがらりと変わった、つまり私小説風でなくなった『腹を空かせた勇者ども』、『ハジケテマザレ』等。素晴らしい、素晴らしすぎる、臨界点越えからの転換。この天才作家には、あれもこれも書けるのだ。もちろん私小説だってまたいつでも書けるのだろう。

畏れ多くも同族嫌悪で避けていたのかもしれない私は、金原ひとみに回帰し、20年越しに救われている。ここにはほんとうのことが書かれている。『蛇にピアス』の少女は成長し、So what? の答えをくれたのだ!それは20年間彼女がとにかく真摯に生き、書き続けたからだ。20年はまたたきの一瞬、全てはおとぎ話。金原ひとみは、今いちばん日本で研ぎ澄まされた、書くことと向き合い続け、輝き続けている、唯一無二の文学者である。

十代の私は思っていた。ほんとうのことなんて書いてなんになるの。でも今ならわかる。ほんとうのことも書けない人間に、ほんとう以外の何かを紡ぎ出せるわけがない。彼女は強く、私は弱かった。その人がそうでしかあれないという生を生き切っている姿は恐ろしいほど美しく、その圧倒的な美に人は平伏すのだ。

※この写真は7月の手術直前に今年はもう今しか海に入るチャンスがない!と思い滑り込みで海に行ったときのもの。

おむすびJAZZ神楽坂出演2回目御礼!

9/26はおむすびJAZZ神楽坂に出演2回目でした✨

フルートの佐々木華さん、ピアノの大橋祐子さん、歌&トロンボーンのササミーママ、急遽関内店の小島幸華ママもトランペットで参加して下さり、豪華な夜となりました🌺

カウンターにいらしたフィギュアスケート元日本代表の鎌田英嗣さんの所作の美しいこと…ボトルを入れて下さったお客様のおかげで華麗なジャンプを拝見することができました💎✨

凄腕能力者しかいない、と〜っても素敵な皆さまとご一緒できて光栄でした💓ありがとうございました😌

私の次回おむすびJAZZ神楽坂出演は計らずとも
なんと❣️10/31(木)ハロウィン🎃の日になります👻

これは…本気の仮装(という名のコスプレ)をするしかない❣️と思っておりますっ😆
なんかリクエストあったら教えて下さい〜🌟

秋の訪れと松本隆の世界、終了!そして次回は…

9/25関内Venusにお越し下さった皆さまありがとうございました✨

「秋の訪れと松本隆の世界」をテーマにした今回のライブ。名曲ばかりで練習するのも楽しかったです。ちょっとだけだけど、振り付きで歌ったのは人生初だったかも!超絶かわいい聖子ちゃんの動画を見て覚えました〜😆

歌謡曲もジャズもボサノヴァもシャンソンも、素敵な音楽は全部愛してます。それぞれの言語/リズムにそれぞれの魅力がある…

おかげさまでご好評いただき、

11/14(木)にもまた松本隆の歌詞の世界を特集したライブを同じく関内Venusでやらせていただくことになりました。さらにブラッシュアップして臨みたいと思います!

今から楽しみです♡

今週のライブ出演

街を歩いているとびっくりするほど涼しくて気持ちいい…冷房がいらないのって何ヶ月ぶりでしょう。季節の変わり目には大きな風が吹いたり、雨が降ったりしますね。秋分直後にこれだけの変化があるのだから、天体の動きには抗えないなあと思います💫時期によって、どんなに変わりたくても変われなかったり、変化を望まずとも否応なく変わらざるを得なかったり。

今週は最近の私にしてはかなり珍しく2本続けてライブがあります✨

9/25(水)関内Venusは、秋の訪れと松本隆の歌詞の世界をテーマに、日本語の曲と秋の訪れを彩るメロウなナンバーという構成で臨みたいと思います🍁ピアノ浅川太平さんとのデュオ🎹

出演2回目🎉
9/26(木)おむすびJAZZ神楽坂では、ピアノの大橋祐子さんと念願の再共演、フルートの佐々木華さんとはじめましてで楽しみです💓
フルートの音色で世界がさらに広がりそうな華やかなセットリストをただいま練り練りしております❣️

9/25, 26と、それぞれ全く違うカラーのライブになるので、両方ともおすすめです〜
🌈🦄✨

♫ 各ライブ詳細 ♫

【9/25(水)関内Venus】
“秋の訪れと松本隆の歌詞の世界”

https://www.venus-hk-j.com

横浜市中区太田町2-27ザ・バレル飛高ビル4F 045-228-8559

加藤咲希(Vo)
浅川太平(Pf)

1st 19:40, 2nd 21:00, 3rd 22:20
MC+TC Gentlemen¥5000お通し付, Ladies¥4000お通し&1drink 付

【出演2回目🎉9/26(木)おむすびJAZZ神楽坂】

東京都新宿区神楽坂3丁目2-40 神楽坂 Co&Coビル3F
070-3115-3331
omusubijazzsnack@gmail.com
※地下鉄の飯田橋駅が最寄り駅みたいです
詳しい道順がママさんのブログにありました🚶‍♀️
https://ameblo.jp/sasa-piro/entry-12818199469.html

加藤咲希(Vo)
Sasammy(Vo&Tb)
佐々木華(Fl)
大橋祐子(Pf)

1st 19:30, 2nd 20:45, 3rd 22:00
各30分のステージ
MC ¥3000

魅力がぶんぶんのSasammyママが切り盛りする、週の半分はJazzを中心としたライブ、半分はSnack営業という、ユニークなお店に出演2回目です✨

今回はストレイトフォワードなスタンダードを多めに、今となっては逆に慣れなくて新鮮な日本語の曲にも引き続き挑戦しちゃうかも?お楽しみに❣️

9/26(木)おむすびJazz神楽坂

出演2回目🧡
9/26(木)おむすびJazz神楽坂

東京都新宿区神楽坂3丁目2-40 神楽坂 Co&Coビル3F
070-3115-3331
omusubijazzsnack@gmail.com
※地下鉄の飯田橋駅が最寄り駅みたいです
詳しい道順がママさんのブログにありました🚶‍♀️
https://ameblo.jp/sasa-piro/entry-12818199469.html

【出演】
加藤咲希(Vo)
Sasammy(Vo&Tb)
佐々木華(Fl)
大橋祐子(Pf)

1st 19:30, 2nd 20:45, 3rd 22:00
各30分のステージ
MC ¥3000

魅力がぶんぶんのSasammyママが切り盛りする、週の半分はJazzを中心としたライブ、半分はSnack営業という、ユニークなお店に出演2回目です✨

個人的には手術日程と重なり前回の共演予定をキャンセルせざるを得なかったピアニスト大橋祐子さんとの共演が嬉しい💖ブッキングして下さったSasammyママに感謝です😌🙏フルートの佐々木華さんとははじめましてで楽しみです☘️✨

今回はストレイトフォワードなジャズ曲を多めに歌います❣️お楽しみに💓

秋の訪れと松本隆の歌詞の世界

次回ライブのお知らせ✨

9/25(水)関内Venus
“秋の訪れと松本隆の歌詞の世界”

https://www.venus-hk-j.com

横浜市中区太田町2-27ザ・バレル飛高ビル4F 045-228-8559

加藤咲希(Vo)
浅川太平(Pf)

1st 19:40, 2nd 21:00, 3rd 22:20
MC+TC Gentlemen¥5000お通し付, Ladies¥4000お通し&1drink 付

今回のライブは、実験的に、1/3が松本隆作詞の日本語の曲、2/3は秋の訪れを彩るジャズスタンダードという構成で臨みたいと思います。

まだまだ暑い日も多いけれど少しずつ秋の気配を感じています。芸術の秋、収穫の秋、読書の秋。過ごしやすくなってくる季節に読書はぴったりだと夏目漱石が『三四郎』で中国の唐代の詩人である韓愈が詠んだ「灯火親しむべし」を引用したことに端を発しているようです。

私がこの秋、やってみたいことのひとつが、日本語の曲を歌うこと。

それぞれのジャズシンガーが様々な背景を持ってステージに立っていると思います。私の場合は、子供のときにクラシックピアノを習っていた以外、意識的に音楽を聴き出したのはLauryn Hill、hip hop からで、そこからグランジ経由でUSオルタナ、さらにUKインディーロックを経由し、ジャズに帰着したので、音楽遍歴の中に殆ど日本語の曲がありませんでした。いわゆる歌謡曲と言われるようなものには何の免疫もなく、ただただ知りませんでした。

私は歌手業と同時に語学講師や翻訳業もやらせていただいておりますが、自分が理解している言語で歌うこと、自分が理解しない言語で歌うこと、自分が理解している言語の歌を聴くこと、自分が理解しない言語の歌を聴くこと、それぞれの妙を考えます。

歌手のカタコトにはカタコトのエキゾチシズムがあり、第二言語には第二言語のエキゾチシズムや客観性があるので、私は必ずしも歌唱言語と理解する言語、ましてや母語が一致していなければならないとは思いません。

リスナーの立場においては、音だけで理解できる言語で歌われた曲を聴く良さもあれば、訳を読み込まないと意味が理解できない言語で歌われた曲を聴く良さもある。言語が直接入ってこないことによって生まれる想像力や客観性がその音楽体験を豊かにすることは大いにあると考えます。

最近は、海外からの観光客の方がふらっと出演場所にいらっしゃることも多くなりました。何か日本語の曲を歌っていただけませんか?とリクエストされることもあります。
逆説的に、大半の日本のリスナーの方々が音だけで理解できる言語で歌う、日本の文脈で日本語で歌う、このしごく当然なあり方を全く経験して来なかったことに気づき、われながら衝撃を受けました。そこで、少しずつ、日本語の曲もレパートリーに取り入れていこう、というのが私のこの秋の挑戦になります。

生まれて初めていわゆる歌謡曲と呼ばれるものの一端を意識的に聴きました。そこで驚いたのは、なんと歌詞の世界の豊かなこと!

私がジャズボーカルに惹かれた理由として、曲がクールである、スウィングのグルーヴが好き、そして、歌詞の表現が豊かである、ということがあったと思うのですが、歌謡曲の世界はジャズスタンダードの歌詞の世界のように、こんなにも豊かなのですね…。凄まじい音楽的言語能力を持った天才たちの匠の業の応酬。

もしかしたら私が歌謡曲を見る目線は、シティポップをジャパンクールとして、レコードをディグりに来るインバウンド目線と似たようなものかもしれません。ここにもエキゾチシズムとある種の客観性が宿ります。

中でも、松本隆の歌詞には完全にやられました。歌詞だけ読んでも全く入って来ないのですが、歌手が歌ったときの音と言葉の一致感、リズム感、婉曲のセンシュアリティ。特に松田聖子との蜜月はそれはそれは美しく、今回準備してしている松本隆作詞の曲の半分は聖子ちゃんの曲になります。二十歳そこそこの松田聖子の神がかった可愛さに悶えながら映像を見て曲を覚えています。

薬師丸ひろ子とか、原田真二も歌う予定です。私よりお越し下さるオーディエンスの方々の方がよっぽど詳しいかもしれませんね。Nat King Coleが歌ったあの秋の曲とか、秋のニューヨークのあれとかも歌います。

これらが全てがジャズピアノとジャズボーカルという媒介を通してさらっと馴染み合う(ジャズミュージシャンとDJって音楽へのアプローチが近いと思うのですがこの話はまた別の機会に)、エキゾチックでチルな空間へ、お越しをお待ちしております。

代々木NARU初出演御礼!

昨晩は代々木NARUに初出演させていただきましたー✨

たっくさ〜んの方がご来場下さり感激でした🥹💝

共演シンガーの片貝晴美さん、文舒ちゃん、二人とも素晴らしい歌唱力ともの凄い個性の持ち主で、とても刺激的な夜でした🌟

久しぶりにご一緒させていただいた廣田ゆりさんのたおやかでエレガントなピアノとお人柄にうっとりでした🎹💕

はじめましての佐藤きりんさん、アルコ使いも素敵でした✨詩人さんでもいらっしゃるとか!

ずっとナルにレギュラー出演している素敵な先輩シンガーさん、この前名古屋でご一緒したばかりの鈴木靖子ちゃん、他にもミュージシャンの方々がいらして下さって、賑わいました🎉もうただただ大感謝です❣️

ライブ後の打ち上げでは噂のヴァッソニールを初体験☘️ご一緒して下さった皆さま、ありがとうございました🥂

※おかげさまでバタバタすぎて全ての登場人物から集合写真を撮る、という観念が脱落。晴美さんも文ちゃんも衣装から着替えてしまって、ゆりさんもお帰りになった後になんとか撮った1枚がこちらになります🙇‍♀️

2024年9月12日の日記

ずっとほったらかしていた公的な手続きを一気にやる。区役所とか銀行とか奨学金のこととか。締切とは神が与えたもうたシステムだ。期限がないとやる気が起きないことがたくさんある。いろいろ整理しているうちに発覚したこと、大学の奨学金という名の借金(日本学生支援機機構)の返済があと2ヶ月、つまりあと2回で完済すること!

大学を卒業してから、毎月約10,155円、いや払えない月もあったけど、でも少しずつ少しずつ返してきた。大学の入学金は、大学そのものが保証人になってくれて、銀行から借りたお金で払った。こちらはかなり前に完済済み。借りた額が大きかった日本学生支援機構の方は、ずう〜っと返し続けて、今に至る。

とても有り難いことに大学からは貸与でなくて給付の奨学金をいただけたこともあったけど、それだけでは夜学とはいえ、私大の学費と生活費は到底足りず。私はスーパーリベラルかつアナーキーなスウェーデンかぶれの人間なので、保育園/幼稚園(この区別すらどうかと思う)から大学院まで無償でないなんてあり得ないと思っているけれど、日本にいる以上、日本学生支援機構の奨学金制度がなかったら大学に行くこともできなかったのだから大変有り難い。

苦しいときも、嬉しいときも、悲しいときも、ひとりのときも、ふたりのときも、またひとりになったときも、祈っていたときも、その後も、ずっとそばにいてくれたのね奨学金(の返済)。というBlue Moonの歌詞みたいな気持ち。

私はたぶんどちらかというと、よく言えば論理的思考ができる、悪く言えばかなり理屈っぽいと思われている。でもそれは私が感性と身体能力がものを言うジャズボーカル界に身を置いているからであって、例えば文学部生時代には、私は論理性が足りない方であった。A +なんてどうやって取るのかわからなかった。クラスメイトたちはもの凄く頭が良くて、もの凄くたくさんの本を読んでいて、めちゃくちゃ複雑な論理的思考ができて、何を言っているのかわからなかった。私は自分は馬鹿だと思って嬉しかった。学ぶべきことが多くあるのはうきうきする!

だいたい、わざわざ夜学の文学部に行くような人間は本当の数奇者、活字狂い、思想狂いばかりだ。試験科目は、国語、英語、小論文のみ。言葉の論理とともに起床し、論理で歯を磨き、論理のシャワーを浴びて、論理とともに登校。授業を受けて、学友や教授と議論を交わし、食事を摂り、また論理ともに床に就く。ベッドの上は本だらけ。もちろん枕は本である。ちょっと硬いけどね。

人の思考の合理性、論理性というのは、育ってきた文化や使用する言語によってかなり違う、というのは、日本語と英語という二つの言語、あといくぶんかのスウェーデン語を扱うことによって、実感している。

例えば、文学部の外に出た私は日本では理屈っぽい人間として人を辟易させるときもあるけれど、英語で喋っているときに私の思考が理屈っぽすぎて辟易する人には出会ったことがない。特にスウェーデンで生まれ育った人間は日本文化からしたらもの凄く合理的、悪く言えば理屈っぽい。私がスウェーデン人とコミュニケーションを取るときには、もっと思考を明確に言葉にしてくれないとあなたの考えがわからない、と言われるけれど、日本の方とコミュニケーションを取るときには、物事をなんでもはっきり言語化しすぎだと言われる。日本は全てを言語化せずに曖昧な部分を残しておく美学。

そうだ、日本語文脈ではKYと言われる私ですが、逆に英語文脈では、勝手に意味を読まないで、と言われます。なぜかというと、相手が思考して言語化して伝えていることがまさに伝えたいことなので、言語外の意味を勝手に推測するのは対話においては失礼にあたるから。言語学において日本語は超高コンテクスト(文脈)言語で、英語は低コンテクスト言語だから、この違いはしょうがない。日本語のコミュニケーションでは言語化されない部分の文脈把握が大切だけれど、英語では日本語ほど文脈把握は必要でない。むしろ何でも言語化して伝えるように、そして相手の言語を理解して対話するように、幼少期から教え込まれるのです。言語変われば、所変われば、人の評価も印象も全ては移ろいゆく相対的なもの。

FB上で、全然知らないオーストラリア人らしき人からアジア人を侮蔑する言葉を投げかけられた。えっ、凄い!新鮮!今どき人種差別をする人ってまだ存在していたのか…。概念が幼いのね。頭が弱いのね。

ダライ・ラマは、いわゆる悪人やダメな感じの人と出会ったときは感謝するのだという。その理由は、どの書籍に書いてあったのかうろ覚えかつ私の解釈も多分に含んでいるのだけど、その人が悪ければ悪いほど、ダメであればあるほど、何がよい行動とされるのか、善とは何であるか、輪郭がはっきりしていく。悪い人はその悪い行動によって、世界の悪さを引き受けてくれているのだから、感謝するべきなのだ。

ここからは完全に私の言葉だけど、あちらの世界に持っていけるのは、魂の色彩だけなのだから、ふつうは誰だって美しくて清くて綺麗な色が好きなはずだから、わざわざ汚れた魂の色彩を引き受けている悪人は尊いのかもしれない。嘘をついたり、脅したり、真実から目を逸らし続ける者たち。被害者のふりをする加害者。そして被害を受けた、というところに大きな落とし穴があると思っている。

理不尽なことが起きる。悲劇はランダムに起こる。通り魔がいる。それを誰かが引き受けて、いわゆる被害者になる。問題なのは、被害者が自らのトラウマ的な体験によって、加害者になっていくことだと思う。被害を受けた怒り、悲しみ、憎しみがごちゃ混ぜになって、自分の痛みを何かを代償にして埋め合わせようとする。強烈な痛みをこの瞬間に抱えている者は、他人の痛みなど気にしている暇はない。今首を絞められて殺されようとしているものは、もがいて動かした爪で人の皮膚を切り裂いていることになんて気づけないだろう。なんとかしてまずは呼吸をしなければならない。脳に酸素がいっていないのだから、思考がものすごく浅い状態。そしてその尖った爪をもって次の通り魔が誕生する。

加害者と被害者の連鎖、被害者が加害者になっていく過程ってこれに尽きるのではないかしら?だとしたら、こんなに単純でつまらないゲームからは卒業するべきだ。だから楽しくない同じことを何度も繰り返すのは馬鹿のすることなんだってば。

いやいや、だって子供のときから何十年も虐待を受け続けたんだよ?戦争で人を殺したり、殺されたんだよ?騙されて、全財産を失って、強姦されて、DVを受けて、苦しくて苦しくて、クスリやセックスや自傷や他傷が必要だ。わかる、わかるよ。辛かったよね、私もそうだったよ。自分の痛みが辛すぎて、無意識に、あるいは意図的に、人も自分も傷つけてきたんだ。ごめんなさい。もし輪廻が存在するならば、誰にでも過去世には酷い経験があったのかもしれない。そうでなくとも物語の中では何でも何度でも擬似体験ができるでしょう。

極限状態で保たれる人間性のことを考える。ホロコースト下でのユダヤ人強制収容所が舞台のコメディ(!)、ロベルト・ベニーニ監督『ライフ・イズ・ビューティフル』、この映画がある限り、どんな酷い状態でも人としての品格は保たれ得るのだと、どんな酷い環境にいてもその究極の責任は本人の中にしかないのだと思う。何が起きても、それをどう解釈するのか、昇華するのか、心の中のどの位置にそれを置くのか、本人次第であるという究極の祝福。

通り魔に会って、自分が被害者である、という意識でいるとき、周りも自分のことを被害者として扱うとき、確かに、怒りや、悲しみや、憎しみを感じないでいることは結構難しい。その不快な感覚を自分の中に生じさせた通り魔を恨むかもしれない。でも人間は認識が、意識が全てなのだから、この不快な感覚を制御できないことが何よりも辛い体験なのだ。

特に怒りのような原始的な感情は、脳の中でも大脳辺縁系と呼ばれる部位が関わっていて、凄く単純化して言うと、人の脳は、他人への怒りや攻撃性を自らと切り離して考えることができないという。人に対して怒っていても、脳は自分に対して怒っているかのように、ストレスとダメージを受ける。人を呪わば穴二つ、という言い回しはこのことを指しているのかもしれない。怒りは被害者を蝕んでゆく。

わかった、じゃあどんな「被害」に会ったとしても、怒りや憎しみを感じなければ幸せでいられるというわけね?でもそんなこと、人間に可能なのかしら?それってむしろ感情を感じるという人間性の放棄なのでは…あんなに酷いことをされたのに!PTSDの症状が酷くて今にも死にそうなのに!

ここで冒頭に戻る、ダライ・ラマの言葉だ。世界の悪を引き受けてくれている悪人に感謝を、憐れみを。最新の科学によると、意識すら量子の働きかもしれないので、そして量子は観測者が観測して初めて存在するらしいので、怒りや憎しみに意識を向けない。意識されないものは存在できない。

すでに存在しているPTSDの症状や、怒りや憎しみに対しては、必要な場合は投薬治療を受けてもいい、カウンセリングを受けてもいい、精神分析でも、滝に打たれても、自己啓発本を読んでもいい、瞑想しても、スピリチュアルでも、ホ・オポノポノとかいろいろなクリーニング法や手放し方があるじゃない、作品に昇華してもいい、とにかく手を替え品を替え浄化していく、のは全て己の幸せの為。あなたの脳がきちんと機能して心が穏やかになる日がいつかやってますように。

たまに、例外として、過去の被害も何も関係なく純粋な悪の塊もいるけれど、それはもう悪神様って感じで、拝んで通りすぎる。彼/彼女は世界のコントラストを表現する為に存在しているだけなので、近寄らないのがいちばん。

………………………………………………

園子温監督『愛のむきだし』より孫引き

【新約聖書コリント使徒への手紙第十三章】

完全なものが到来するときには、部分的なものは廃れさる。私は幼い子供であった時、幼い子供のように語り、幼い子供のように考え、幼い子供のように思いを巡らした。ただ、一人前の者になった時、幼い子供のことは止めにした。

………………………………………………

自分も周りも、被害者が加害者になっていく連鎖が、どう考えても、幼少期から、止まらない。そして現時点において、もうこれって何か変だな、いい加減悲劇に飽きてきたな、何か抜け出す方法があるはずだぞ、と、やっと客観性を持って状況を見て、考えられるくらいに、私の思考が成長した。でも論理で考えられる部分があっても、自らの感情の扱いが、まだまだパーフェクトなわけではないから、日々是精進。ちょっとしたことで、感情が揺れ動き、それらひとつひとつを丁寧に処理していく。手放したり、昇華したり、思考によって分解したり。この不毛な連鎖から必ず抜け出すぞ、という強靭な意志を持って私は日々生きているのです。

で、ここからは一気に論理が破綻するのだけど(笑)私の音楽理論の師匠は凄く魅力的な人で、魅力的な人にありがちなこととして、愛されすぎる。愛されすぎると、憎まれたりするもので、何らかの発言をすると(あとたぶんたいして発言してないときもある程度コンスタントに)嫌がらせメールとか、殺害予告とか、よく来るんだって。それで、彼がそのことにXで言及して言っていたのが、

「殺意や呪いに近い怒りを抱くのは、とても精神に良い。僕でよかったら好きなだけやってほしい。感情押し殺すから具合悪くする。」

凄い。かっこよすぎる(笑)なんかこういうやり方もあるんだな〜って、それもいいかも、と思いました(笑)。私はいい子だから真面目すぎるんだよね。この世界をもっともっと遊んでいこう。

※写真は去年の今頃、ヴェニスでディナー

名古屋Swingありがとうございました!

来れば来るほど温かい名古屋。大好きです。

初めて来たときは、コーラスのお仕事で、次はソロ、その次は1stアルバムのレコ発、今回は老舗Swingにて、ダブルボーカルでコーラスアレンジを。毎回毎回とても素敵な経験を積ませていただいてますが、今回も最高だったな、と感じています。皆ほんとうに温かい…🫶🏻

浅川太平さん作のキュートでアンニュイなスタンダードのコーラスアレンジ、練習するのも楽しかったです☺️

相方、鈴木靖子ちゃんとは東京で出会って、なんだかヴァイブスが凄く合って、すぐに仲良くなって。こんなにすぐに名古屋ライブが一緒にできて、とても嬉しかったです!
意図せずして今日も同じ色の服でした❤️
また靖子ちゃんとコーラスライブしたいです。
名古屋でも、東京でも。

昨日のライブ後は2時くらいまで沖縄料理をご馳走になって、お昼はベトナム料理で、その後可愛いカフェでケーキを食べて、名店蓬莱軒のひつまぶしをいただきました。私と彼女は、やっとお腹いっぱいになったね、というか、ちょうどいいね、と言い合いました〜。

夜はDoxyにQuietronicaを聴きに。キレキレの皆さまのパフォーマンスによいインスピレーションをいただきました🙏✨透明感…。

もうすぐおうちです。でもなんか今さらだけど…私は横浜がホームとも思っていないのかもしれないな。ホームは心の中にしかないのかも。それは大好きな人の、大好きな人たちの、いる場所です。