では3/10渋谷JZ Bratのbehind the scenes、舞台裏の話。
最初にお伝えしておくと、私は同情して貰いたいわけではない。同情するなら金をくれ!と小学生の安達祐実ちゃんも叫んでいたではないか。祐実ちゃんが大人たちにもの凄いセリフを言わされているのを聞く度に、あああの可愛い祐実ちゃんが芸能界の荒波の中でジュディ・ガーランドみたいな人生を送ることになってしまったらどうしようと勝手に恐怖していたものだった。だってジュディ・ガーランドは薬漬けにされて、◯◯に〇〇されて(書けない)大変な人生を送ったのだから…。でもそれは杞憂だった。祐実ちゃんは立派な大人になった。祐実ちゃんは芸能界の荒波に負けなかった。見よ!あの透明感を。祐実ちゃんの人生にあんなことやこんなことはあったかもしれない、いや、確実にあっただろう。でも彼女は自分の人生に勝っている、少なくとも現段階では。
全ては顔に出る、祐実ちゃんのあの美しさが勝利の証だ。美人は性格が悪いというのは嘘だ。あんなに美しいのだから、せめて性格は悪くあって欲しいという嫉妬だし、実際たくさんの嫉妬による嫌がらせによって性格が歪んでしまう場合はある。性格は顔に出る。外見は心の反映だ。透明な外見の人は透明な心を持っている。何があっても、外面を保った者の勝ちなのだ。それは彼女の強さの、心の平穏のあらわれなのだから。(ただしサイコパスとして感情が透明な場合もあるので気をつけよう、サイコパスについてはまた別の機会に)
私は言い訳をしたいわけではない。いや、でも言い訳をしたいのかもしれない。人は何でも自分の都合の良いように合理化する。客観性なんて一体どこにあるのだろう。花粉症の件だ。私が花粉症を発症したのは2年前、父が突然亡くなった次の月だった。原因不明の微熱と吐き気が何週間も続き、まともに生活ができない。病院でも原因がわからなかった。原因は花粉アレルギーだと特定したのは代替医療の天才治療家だった。耳鼻科で血液検査を受けると、スギ花粉へのアレルギー反応があった。抗ヒスタミン剤を飲み出し、微熱と吐き気は抑えられた。
そして去年2024年。前年にスギ花粉アレルギーの洗礼を受けた私は、徹底的に準備しスギ花粉飛散シーズンを迎えた。かなり奮発して最新鋭の空気清浄機を部屋に導入。外出時にはマスクと花粉防止メガネを着用。もちろん洗濯物は部屋干し。掃除の徹底。部屋に入る前はコートと頭をはたき、帰ったらすぐに手洗い、うがい、鼻うがい、できることなら速攻でシャワーも浴びる。現代医学では腸がかなりの部分のアレルギー症状に関係していることがわかっている。私は乳製品があまり体質に合わないので、植物性の乳酸菌、豆乳グルト、ぬか漬け等の発酵食品を積極的に摂取した。これらの甲斐あってか、なんとか去年は飲み薬がいらないくらいに症状が抑えられていた。
そして今年、2025年。まず上記の対策は全て行った上で迎えたこのシーズン。今年は1月後半の段階から私の体は異変を感じていた。外出すると喉がイガイガになってくる。この時点では花粉レーダーではまだ花粉はほぼ飛んでいないという表示だったけれど、思えばこのときからあやしかった。去年2回の外科手術とその前後の大量の投薬を経験し、私の免疫力は風前の灯火だった。(アレルギー症状は免疫の誤反応とも言えるけれど、弱っているから正常に機能しないのだ)
2月半ばになり、発熱。花粉症デビューの年にはなかった鼻と喉の症状も追加されたので、最初は風邪や感染症の疑いもあったけれど、熱が微熱でずっと続いていること、目の痒みもあること等から、病院でもやはり酷い花粉症だろうという診断。3月頭の段階で通常の抗ヒスタミン剤の投薬を始めて1週間経っていたけれど、殆ど症状は治らず。ここでステロイドとさらに強い抗ヒスタミン剤を使うかどうかの選択肢が与えられる。他の治療と薬の相性が悪いので悩む。でも3/10のJZ Bratは迫っている。体に悪くても3/10になんとか歌える体にすることを選んだ。この時点で、鼻水、痰、咳が起きている間は止まらない状態。喉の粘膜が腫れ、粒の大きいサプリメントを飲むときも詰まりそうだった。もちろん練習どころではない。呼吸するだけで、横向きで眠るだけで精いっぱいだ。
ステロイドと強力な抗ヒスタミン剤の投薬に切り替えて1週間後、やっと顔面から流れ出る粘液の分泌量が減ってくる。この時点でJZ Brat出演前日。とりあえずステージの上では鼻をかまないでも大丈夫なくらいの分泌量になった!でも数週間、鼻水、痰、咳に晒され続けた喉は限界なんだ、玄界灘。
歌唱の場面においてカラオケ等でもよく、声が出た、出てる、出なかった、という言い方があるけれど、現代のマイクを使う歌唱では、出ている声が極小でも、少しでも出ている限りは拾うことができる。でも声が出れば歌になるわけではない。発声し、音色を整え、ピッチとタイミングを合わせる。ここまでできて初めて歌になる。正直にお伝えすると、3/10ライブ当日のリハにおいて、喉の炎症によって、まず発声がままならない音域があった。音色は確実にいつもの私の音色ではなかった。声帯が腫れているのでいつもと同じ入力で同じ音に当たらない。これも歌手の皆さんはご存じだと思うけれど、声帯が腫れているときは、囁くようには歌えない。しっかりと張らないと音が出ないし保てない。大切なライブで酷い歌を皆さんに聴かせてしまうことになるかもしれないと思い、私は心底恐ろしかった。
ここで音楽監督の浅川氏に相談する。現時点で出しにくい音域が頻発する曲はあらかじめ変更しておいた方がよいだろうかと。氏は言った、今回のライブは完成度でなく歌手として持っている世界観を聴いて貰うことを優先した方がよいと思う。氏の音楽的な能力と直感と直観は軽く見積もって私の10倍は冴えているので、私は選曲を変えなかった。酷い歌になったらどうしようという恐怖と自意識を乗り越え自らを曝け出さなければならない。後は音楽のカミサマにお任せする。これは儀式なのだ。ライブ本番、私の歌がどうであったのかは、お越し下さった皆さんがご存じである。後でいくつか動画も上げる予定。
私の喉の様子に気づいたPAの羽生田氏は、本当に少ししか音が出ない帯域を膨らませて聞こえるようにしてくれた。恐怖と緊張によって普段したことのないような、あり得ない私のミスをメンバーはさらっと修正し惨事を回避してくれた。やっぱりこのメンバーにお願いしてよかった。
ちなみに、ライブ中に咳は出ない。アドレナリンで咳は止まる(MC中はあやしい、アドレナリンが出ないから)。それは遥かパンデミック前の牧歌的な時代、人々が感染症の恐怖に怯えていなかった頃、40度の熱があってもステージに立っていた頃から続く敬虔な経験で、自分でも毎回感動する。2ndセットでLilla Flickaが喋らなかったのは喋ると咳が出るからだ。後半喋れるようになったのは、1stと2ndの間に追加した咳止めが効いてきたから。
ライブ後、毎月、いや毎週のように私のライブに来てくれているリスナーの方からメッセージをいただいた。「すごく良かったです。まさに集大成というのが相応しい、渾身のライブという感じでした!花粉症はギリギリのところで持ちこたえましたね!」私は涙が出た。
ライブは一期一会で、音に出ていることが全てだ。内情など何も関係ない。3/10のJZ Bratが私の歌を聞く最初で最後の機会だった方もいると思う。音楽家なら誰もがベストの状態でステージに立ちたいと思う。でもそれが叶わないときもある。演奏家も歌手もアスリートで、でもアスリートも病気になったり、怪我をしたりする。私がオフィスワーカーであったなら、講師だけであったなら、仕事を遂行するのに全く問題にならない程度の不調が、歌手としては致命傷になる。そういうときはどうするべきなのか、止めるのか、辞めるのか、休むのか、傷んだまま続けるのか、やり方を変えるのか、工夫でどうにかならないものか…できるだけ自意識に捉われず、最前を尽くさなければならない、それしかできない。私は日々経験し、学び続けています。
そして結果として3/10はライブを中止にすることなく開催できたのだから、やはり音楽のカミサマに、素晴らしいメンバーに、素晴らしいスタッフに、素晴らしいお客様に、治療家氏に、医師に、我が人体に、感謝します。
ライブ活動休止前のライブはあと2本。
3/25(火)関内Venus
井上ゆかり(Pf)
3/28(金)代々木NARU
鈴木康恵(Fl)
浅川太平(Pf)
